
皆さんこんにちは!CAMPたかにぃです!
今回は全国を旅している私が、4月からお遍路を始めるということで、四国お遍路の歴史を少しポップに楽しくご紹介していきたいと思います。
最後には世界のロングトレイルとの比較もしていきたいので、ぜひアメリカ好きのハイカーさんにも最後まで見て頂きたいなと思います。
また、ボクなりにまとめた情報になるので、あくまでここを切り口にして、皆さん自分でも情報収集して頂き、間違っていたらコメント欄にて指摘して頂けたらと思っております。
もくじ
そもそもお遍路とは???
で、そもそもお遍路とは何なんだというところからご紹介したいんですが、
お遍路(おへんろ)とは、四国八十八箇所霊場巡りのことで、
四国地方(徳島県・高知県・愛媛県・香川県)にある弘法大師(空海)ゆかりの88か所の寺院を巡礼する宗教的な旅のことです
歩くと、厄除け、供養、修行、心身の癒し、願掛けの意味があって、今では宗教的な旅目的だけではなく、人生のリセットや癒しの旅として国内外での人気があります!
距離はなんと約1400kmで1日20km歩くと2ヶ月ほどかかるというかなりボリューミーな距離感です。
これを歩きだったり自転車だったり車で回る人もいれば、バスツアーで回る方もいるようです。
巡礼??
因みに、巡礼という言葉もありますが、お遍路は巡礼のひとつです。巡礼自体は1番広い意味を持つようで、順番とか特に関係してないっぽい。(巡礼の場合必ずしも一本道とかでもないみたいです。)
今は巡礼って聞くとアニメの舞台になった場所を回るのを聖地巡礼イメージする私だけど、昔は宗教的な聖地巡礼が一般的だったっぽい。お寺とか、山とかを聖地にして回る人が多かったようですね。
お遍路という言葉はもともと「辺路」という字を使われていたようで、熊野古道の大辺路中辺路小辺路と同じ字を書いていたのですが、
「辺」はあたり・ほとりという意味で、「路」は道を表します。
遍路は四国という島の海辺の道を歩くことから辺路と言われ、そこから読み方を変えずに漢字が変わって遍路なんですね。
・歩く距離や時間は?→約1400kmで約2ヶ月
・お遍路の目的は?→お願い事とか、叶うかもよ!
・お遍路の語源は?→海辺の路を意味する辺路だよ!
お遍路装備と作法
お遍路はただの旅行ではなく、修行の旅だった時代背景から、昔から伝わる作法や礼儀を守ることが大切だという想いでずっと受け継がれている伝統的なやーつです。
実はお遍路の装備とか作法の中に歴史的な情報が入ってるんで、まずはその辺から、紹介します。
歴史の勉強①:お遍路装備
まず格好。
形から入るの重要っすよね。
- 遍路傘
- 白衣
- 輪袈裟
- 念珠
- 山谷袋
- 金剛杖
という装備内容が一般的。
お遍路傘帽子は日除け雨除けとかの僧侶や旅人がよく使用した伝統的な笠ですね。
白衣(はくえ)は別名「死に装束」と呼ばれていて、そのお遍路の過酷さ故に行き倒れる方も多かったようで、巡礼の途中で命を落としても、そのまま極楽浄土へ行けるようにという願いが込められています。
輪袈裟(わげさ)は巡礼者としての身分や修行の心構えを象徴する大切な法具。「俺は修行中だぞ!」という修行者の証でもあるようです。
念珠(ねんじゅ)は祈りや修行の象徴としての役割を持っています。お遍路では、後のお作法編で出てくる読経や巡礼の際に用いる大切な道具の一つです。
山谷袋(さんやぶくろ)は納経帳(のうきょうちょう)や納札(のうさつ)、数珠(念珠)、御影(おみえ)などの巡礼用品を収納するための袋で、「巡礼の必需品をまとめて持ち運ぶためのバッグ」ってことですね。
金剛杖(こんごうづえ)はお遍路の巡礼者が持つ杖のことで、単なる歩行補助具ではなく、弘法大師(空海)の象徴としての深い意味を持つ大切な法具(ほうぐ)。「同行二人(どうぎょうににん)」=弘法大師とともに歩む旅 を示す重要な巡礼アイテムです。
お遍路装備の意味まとめ
だから、お遍路装備は修行僧仕様!!その装備が今も続いている!!
歴史の勉強②:お遍路ルーティーン
お遍路には作法があり、習慣(ルーティーン)があります。
どんな習慣があるのか?
お寺でのルーティーン
本堂でお参りしてからご本尊にお参り(本尊とはそのお寺で一番大切にされている仏さまのこと!お寺ごとに違う仏さまがいて、みんなのお願いごとを聞いてくれる存在)。
ろうそくを立て、線香をあげて、納札(おさめふだ)を納め、お賽銭を入れ、納経帳を見ながら般若心経やご真言を唱えるます。そして静かに手を合わせて祈るのです。
ここで、納経所で御朱印を頂きます。これ、今で言うスタンプラリー的なやつですね。
これを番号順にお寺を回っていきます。
歩いてる時
お接待というのがあります。
お接待とは、四国八十八カ所を巡るお遍路さんに対して、地元の人々が食べ物や飲み物、宿泊場所、金銭などを無償で提供する文化のこと。この文化は江戸時代からずーっと行われていて、400年以上の歴史がある文化なんですね。
お接待の文化は個人的に超スゲェ文化だなと思ってて、アメリカロングトレイルのトレイルマジックのような文化が日本にも、それもアメリカよりずーっと前からあるのだという事実に驚愕しました。
更に面白いのが納め札という文化。
納め札とはお接待を受けた際に「感謝の気持ち」として渡すことができます。一応、納め札本来の目的は各札所の本堂と大師堂で「自分がここを訪れ、祈願しました」という証として1枚ずつ納めるのが習わしですが、お接待のお返しの意味もあるようです。
つまり、日本にはアメリカトレイルの「トレイルマジック」と同じような文化があるだけでなく、そのお返しができる「納め札」というアイテムがあるというのが非常に興味深いですよね。
アメージング!!!リスペクトフル!!!
お遍路の起源
お遍路の始まりは平安時代(約1200年前)になります。
空海(くうかい)=弘法大師(こうぼうだいし)が四国を歩いて修行したことが始まりでした。
昔の四国お遍路は目的としては海洋信仰という自然信仰からくるお坊さんたちの海辺を巡り歩く修行の場でした。この頃は一般の人達は参加してなかったものの、お坊さんだった空海はお遍路歩きをします。空海は、若い頃に四国を歩いて修行し、多くの霊場を開いたらしく、その足跡をたどるのが、四国遍路(しこくへんろ)の起源なのです。
今の道とは違って山道・けもの道がほとんどで、ボロボロの着物を着ていて、野宿をして回ったと言われております。
その間には普通に大自然と向き合う形となるので当然過酷だったけど、当時は山賊にも襲われることもあったらしく、病院もないし、食料調達も難しいからやばいっすよね。
お遍路はそんな過酷な沿道の自然に、風土に、人々に、文化に、石の仏に、そういう宝物に囲まれて「悟り」の境地に近づこうとする行為であり、弘法大師のようになれる。弘法大師に会える。と言われております。
他、昔の人たちがお遍路を歩いて修行する意味ってのは
- 病気が治りますように
- 家族が幸せになりますように
- 悪いことをした罪を反省したい
- 天国に行けますように
いったような願い事をしていたようです。
今とは違って食べ物も無く、十分な治療もできない時代だったからこそなのかな?と思います。
さらに仏教の浄土思想が入って、南方あるいは西方にあるとされた浄土世界は日本古来の海洋信仰と融合して海の彼方に存在すると考えられるようになりました。こうして海の持つ宗教性はさらに高められ、海への入口にあたる海岸部での修行、すなわち辺地修行(四国ならお遍路)が盛んに行われるようになりました。
お遍路ブランディングに成功!!
ここで急にポップなタイトルになりましたが、長い時間を経て、お遍路がこれだけ有名になった理由もご紹介します。
今でこそ、SNSの力もあってこれだけ世界的にも有名になりましたが、昔はPCもなければ電話も無かった時代です。そんな時代から、伝統が受け継がれているのには深い理由があると思うんですよね。
その巧みなお遍路ブランディングを深堀りしていこうというわけです。
四国お遍路のパッケージ化
四国お遍路が有名になる前、「これが四国お遍路や!!」と定義づけされる決定的瞬間があったようです。
それが近世初期でつまり1600年代の江戸時代です。
パッケージにする時に参考になったのが西国三十三カ所巡礼で近畿の巡礼地だったぽいんですけど、実は空海が始めたころは、まだ今みたいな巡礼の旅ではなかったらしい。多分、作法とか、考え方とかにバラツキがあったんじゃないかと思います。フワッとした感じだったんですよね。
そこで、「ちょっと定義付けして流行らそうや!!」と江戸時代に「真念(しんねん)」という名のお坊さんが立ち上がったわけです。
真念は四国遍路を何度も巡り、その経験をもとにお遍路のルートを整理。当時は巡礼の道が整備されておらず、多くの巡礼者が道に迷っていました。
そこで、「誰でもスムーズに巡礼ができるようにしたいんやー!」と真念は詳細な道案内を記したお遍路ガイドブック「四国遍路道指南(しこくへんろみちしなん)」を出版したんですね。
真念がやったこと
・お寺の順番やお参りのやり方を広めた
・普通の人でもお遍路ができるようにした
真念のお遍路ガイドプックのお陰で江戸時代中期以降にお遍路ブーム到来です!
巡礼の道が広く知られるようになったので、ガタガタだった四国遍路のルートも整理されるし、四国遍路は庶民にも広まり、旅をしながら信仰を深める文化が根付いて、他の巡礼の参考にもされているようです。
真念は四国遍路のシステムを確立した先駆者ってことなんです!!
お遍路を始めたのは「空海」
お遍路を広めたのは「真念」
ってことか!!
四国お遍路の広告
今だと広告ってYouTubeとかインスタとかのSNSかなと思うんですが、四国お遍路が有名になった江戸時代はどうやって広まったんでしょうか?
宣伝方法はなんと演劇だったようです。
演劇を見て、
「あ~お遍路したら、大変やし、何かお願い事かないそうやわ」って皆さんお遍路に行く方が多かったんですね。
特に江戸時代のお遍路は、貧しい人や罪を償いたい人が旅に出ることが多かったようなので、今みたいな華やかさは無かったでしょうね〜。
演劇もそんな題材のものが多かったようで、そういうブランディングをされてた感じなんですね。
「お遍路に出ることで心を入れ替えて新しい人生を歩き始めるぞ…!!」
そんなストーリーが人気だったみたいです。
当時はあんまりプラス思考な雰囲気では無かったものの、「自分探し」という意味では、今の人達も共通ですよね。
世界の巡礼と日本のお遍路
じゃ、世界の巡礼もちょっと気になるよね。
どんなのがあるんだろう?
サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 | スペイン | キリスト教 | ヨーロッパで一番人気の巡礼。星の道とも言われる! |
メッカ巡礼(ハッジ) | サウジアラビア | イスラム教 | イスラム教徒が一生に一度は行くべき場所 |
ルルド巡礼 | フランス | キリスト教 |
病気を治す奇跡の泉がある |
ガンジス川巡礼 | インド | ヒンドゥー教 | 聖なる川で体を清める |
パシフィック・クレスト・トレイル | アメリカ | 自然崇拝 |
とあります。
「信仰からくる巡礼」というのは日本だけでなく、世界的な現象だったんですね。
特に、カミーノ・デ・サンティアゴ巡礼路は知ってる方も多いかなと思います。ヨーロッパでいちばん有名な巡礼コースで、これまでだと「TRAILS」も記事をあげてます。
カミーノ・デ・サンティアゴ巡礼路を歩いた人が四国お遍路に興味を持つパターンも多いようで、お遍路の「自己探求」や「長距離の歩き旅」というコンセプトとかなり似てるっぽいです。
お遍路(四国八十八箇所巡礼)は、世界から見るとかなりユニークで魅力的な文化や宗教的な体験として注目されています。
ただ、アメリカの「アパラチアン・トレイル(AT)」とか、「パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)」に関しては、自然崇拝とかからくるので、そこに宗教とかはなく、どちらかと言うとかつての自然信仰という概念の方がしっくりくる。
例えば、四国お遍路とか、サンティアゴ巡礼も含めた巡礼に関してはあくまで「人の信仰・宗教」が絡んでるのに対して、PCTやATにはそれが無い。歴史がまだ浅い(1900年代かなと思うけど、不明。)ということが前提としてはあるのだけれど、やはり自然崇拝という概念になるということです。ある意味世界的に考え方が一周回ってブラッシュアップしてできたトレイルなんじゃないかと思います。